京都精華大学 アセンブリーアワー講演会
マーガレット・ハウエルと開化堂
変わらない変わり方―時間を取り込んだ物づくり
2021年2月11日、本学にてアセンブリーアワー講演会『マーガレット・ハウエルと開化堂、変わらない変わり方―時間を取り込んだ物づくり』が開催されました。2020年に創業50年を迎えたマーガレット・ハウエルの手がける服は、普遍的なデザインに機能性と着心地の良さを備え、袖を通す人たちに喜びを与えてきました。彼女のデザインの中心にあるものを知り、それが時代を超えて人々に愛されている理由を探ることで、50年を生きるタイムレスなデザインとは何かを考えたい。そんな意図で行われた本講演は、19年にわたってマーガレット・ハウエルのデザインを手がけてこられた池田賢一氏によるレクチャーや、京都で伝統を守りながらも、物づくりの新しい領野をひらこうとされている開化堂六代目、八木隆裕氏との対談などを通して、さまざまな角度から物づくりの本質とは何かを考察する貴重な機会となりました。ここでは講演の模様をダイジェストにてご紹介いたします。
プログラム
第1部 レクチャー「マーガレット・ハウエルのクリエイション」
池田賢一(株式会社アングローバル 執行役員/マーガレット・ハウエル デザインディレクター兼MARGARET HOWELL LTD.取締役)
第2部 対談
池田賢一×八木隆裕(開化堂六代目/本学伝統産業イノベーションセンター特別共同研究員)
第3部 マーガレット・ハウエル氏から京都精華大学の学生たちへのメッセージ
モデレーター 西谷真理子(本学ポピュラーカルチャー学部客員教授)
はじめに
50周年記念映像
* CCを押すと日本語字幕を表示できます。
西谷:まず初めにマーガレット・ハウエル50周年を記念して制作された映像をご覧ください。これは“インスピレーションを言葉で説明するのは難しい”というマーガレット・ハウエルさんが、映像作家のエミリー・リチャードソンとコラボレーションして、大切になさっている物づくりのこと、こだわりなどをショートフィルムにしたものです。映像の中で、マーガレットさんが箱から昔の家族写真を取り出すシーンがありますが、それを見て私は、アウグスト・ザンダーというカメラマンの撮った『20世紀の人々』という写真集を思い出しました。そこに写された市井の人々が身につけている日常の衣服の美しさというものをおもわず思い出して、「ああこれを作り続けている人がここにいる」と感動したのです。マーガレットさんの物づくりの深い部分がとても凝縮されている映像です。どうぞ御覧ください。
西谷真理子
1974年に文化出版局に入社。『装苑』、『ハイファッション』などの編集部に在籍。80〜82年パリ支局勤務。2011年退職後、ファッションを軸に編集者、ライターとして活躍。編著書に『ファッションは語りはじめた』(フィルムアート社 2011年)、『相対性コムデギャルソン論』(フィルムアート社2012年)など。
第1部
レクチャー
『マーガレット・ハウエルのクリエイション』
池田賢一
池田賢一(株式会社TSI マーガレット・ハウエル デザインディレクター兼MARGARET HOWELL LTD.取締役)
文化服装学院のアパレルデザイン科を卒業。2002年株式会社ア
ファッションデザイナーではなく、クロージングデザイナー
池田:今日は私がこれまでマーガレットと19年間ともに仕事をしてきて学んだこと、感じたこと、また物づくりの考え方などについて少しお話しさせていただきたいと思います。まず洋服のデザインをする人のことを、日本ではファッションデザイナーと呼ぶことが多いと思いますが、マーガレット・ハウエルではマーガレットおよび我々デザイナーは、ファッションデザイナーではなく、クロージングデザイナーとして仕事をしています。クロージングデザイナーとは何かと言いますと、生活の3大要素である衣食住の衣(クローズ)を作るデザイナーのことです。衣というのはシーズンで区切れるものではなく、手に取った人の暮らしとともに続いていくものであり、日常的に活動しやすく、毎日着ても古びたりすることがなく、トレンドに左右されず来年も着たいと思える衣服のことを指します。そこに素材や、色、シーズンのバランスなど、奇をてらわないけれど、少しだけ遊び心あるアクセントを加えることで、着ることの楽しさや心が豊かになるようなお手伝いをする。そうすることで、長く存在する素晴らしいスタイルを作っていく。それがクロージングデザインと考えます。
かたやファッションデザイナーとは、決してネガティブに捉えるわけではないのですが、そのシーズンのコレクションテーマだけのためにコレクションを
「正しい素材があれば、余計なデザインをする必要はない」
デザインする上で大切にしていることをお話しします。もっとも大切にしているのはファブリック(素材)とクオリティ(質)です。マーガレットはよく「正しい素材があれば余計なデザインをする必要はない」と言います。正しい素材を生かして構築し、必要な機能は備えているけれども、余計なディティールは何もない、というのが理想の在り方です。ファンクション、ユーティリティといった言葉でも表現できます。それを突き詰めていった先に美しい佇まいが生まれます。クオリティというのは、丁寧な作りで仕立てがいいこと。表から見えない裏の仕様も美しいこと。例えばシャツやジャケットのステッチが美しいことです。我々の業界では「運針」と言いますけれど、ステッチが綺麗であることは大切です。素材と質が揃っている服は、愛着を持って長く着続けることができます。これは昨今のサステナブルの考え方にも通ずるものではないでしょうか。リサイクルするまでもなく、捨てる必要がなくてずっと着られる物。それこそ一番のサステナブルですよね。長く着続けることで経年変化が自分らしさとなって、さらに愛着が深くなる。そういう確かな物づくりに欠かせないのが、正しいファブリックと確かなクオリティ。それを常に大事にしてデザインをしています。
素材は変えず、作り方やバランスで新しさを出す
マーガレット・ハウエルのものづくりの特徴に、気に入った同じ素材を使い続けているということがあります。彼女はイギリスの方ですから、ブリティッシュ・マニュファクチャーをこよなく愛していて、ハリスツイードやスコティッシュ・カシミア、アイリッシュ・リネンなどを50年前から今シーズンまで、変わらずに使い続けています。それぞれいろいろな質感、硬さ、重さなどがありますけれど、素材の多くは常にほぼ変わりません。ただ、素材は変わらないけれど、作り方は変えています。過去には50年前は肩パッドを入れたり、ジャケットのラペルが広かったり、ウエストをやや絞るなどしていましたけれど、今はリラックスしたオーバーサイズシルエットで、ラペルもナローで、ボタンのサイズを変えるなど。同じ素材でも時代の雰囲気とインスピレーションよってディティールをデザインすることで、常に新しさを提案させていただいています。
もうひとつ、「変わらない変わり方」ということでは、「点と点を結ぶ線の先を考える」ということも大切です。点と点とはつまり各アイテムのことです。我々デザインチームはアクセサリー担当、ニット担当、シャツ担当などそれぞれのアイテムの担当がいるわけではなくて、デザインチーム全てのスタッフが頭の先から足の先のソックスまでデザインします。デザインするときはそのアイテムに集中して、それがいかに機能的か、美しく仕上がっているか、マーガレット・ハウエルらしいかを考えて作るわけですが、シャツ、ジャケット、トラウザー、ソックス、とそれらの点を線で繋いだときに、いかにワクワクとした動きがあり、マーガレット・ハウエルならではのバランスで楽しめるか、ということを大事にしています。全身のバランスのなかに時代感や気分を取り入れる、ということがマーガレット・ハウエルの「変わり方」なのかもしれません。
第2部
対談
マーガレット・ハウエル 開化堂
池田賢一 × 八木隆裕
開化堂/八木隆裕
明治8年(1875年)創業の日本で一番古い歴史をもつ手作り茶筒の老舗「開化堂」。六代目である八木隆裕氏は、海外市場にも積極的に進出、デザインやインテリアの領域にも展開を続ける。2012年には京都の伝統工芸を担う同世代の若手後継者らと共にプロジェクト「GO ON」を立ち上げ、他ジャンルとのコラボレーションなどを通じて伝統工芸の新たな可能性を探っている。2018年より本学伝統産業イノベーションセンター特別共同研究員。
着る人が主役、という考え方は
僕ら工芸の職人と、すごく通じるものがあります(八木)
西谷:八木さん、開化堂とマーガレット・ハウエルとの出会いはいつだったのでしょうか。
八木:僕たちが知らないうちにマーガレットさんが僕の父が作った携帯用の茶筒をお友達にプレゼントされて持っていらっしゃったんです。その後2008年に僕がロンドンのウィグモアにあるマーガレット・ハウエル旗艦店で実演をさせてもらったのを機に、取り扱いがスタートしました。そのとき僕は、「開化堂のマーガレットモデルができるんだ!」と嬉しくて、どんな物ができるんだろうとワクワクしていたのに、担当の方から「マーガレットが『そのままがいい』と言っているんですけど」って言われまして(笑)。がっかりすると同時に開化堂のことを100%認めていただけたんだな、と改めて嬉しくなりました。
池田:八木さんはマーガレット・ハウエルの服もずっと着てくださっていますよね。
八木:はい。マーガレット・ハウエルの服は、毎日着て仕事ができるんです。僕は毎日、金槌や木槌なんかを持って仕事をしますが、そんな道具と同じ感覚で着れるんです。それでいてお客さんが来てもそのままパッと出れるのがいい。それで僕はずっとマーガレット・ハウエルを着て仕事をしています。
池田:マーガレットは忙しく動き回る人なんですよね。ゆえにヒールやパンプスなんかを作ることはなくて、動きやすいことがマーガレット・ハウエルのデザインの一番の基礎になっています。日々生活するなかで動きやすく、常に着ていて安心する、いつの間にか自分の肌のようになっている。そんな点では、開化堂さんの金槌のように常に身近にある道具に似ているところがあるかもしれません。
八木:池田さんが先ほどから仰っておられる質や素材への考え方も、うちが物を作るときの感覚と似ているように思います。決してハレの日の物ではないけど、ケの日の物のなかでも上質な物、という雰囲気をマーガレット・ハウエルのプロダクトからはすごく感じていて。そういうことをとても大事にされているからこそ、毎日着ているなかで、ふと楽しくなるんです。マーガレットご本人はファッションショーのようなハレの日でさえ、表に出て来られないという方じゃないですか(笑)。それくらい「自分が作った物が主役、その先の着ている人が主役なんだ」という考え方は、僕たち工芸の職人とすごく通ずるものがあるように思います。
パッと見は変わらないけど、変えている。
これは盆栽をいじっているみたいな感じかもしれない(池田)
池田:開化堂の茶筒って華美なデザインはないですが、見えないところでとても気を遣われていますよね。例えば蓋がスーッと落ちるところなんて気持ちの良くなるデザインです。我々の場合はそれが、ステッチなんです。そういう見えない部分にデザインの本質があるんだと思います。
八木:確かにそこがダメだと機能しないですし、使っていてなんだか残念になりますよね。普段自分がお客さんとして物を選ぶ時に気になるポイントでもあります。まさしく職人仕事はそこを追求するということを代々やっているんです。同じような物を作り続けるということは、ディティールをとてもしっかり見るチャンスがあるんですよ。マーガレットさんがずっとされていることは、僕ら職人から見ても職人らしい、職人以上に職人らしいなと思います。ところで先程のレクチャーで、変わらない素材の中に何か楽しくいられるポイントを作っているというお話がありましたが、それが行き過ぎるとファッションに近づいてしまいますよね。行き過ぎないためのバランス感って何かあるんでしょうか。
池田:このブランドは、マーガレットのライフスタイルそのままをデザインしているわけですが、彼女のライフスタイルは普遍的なんだけど、もちろん決して全く変わらないわけではありません。変わらないベースに新しいエッセンスを加えるという楽しみもあるんですね。その匙加減はマーガレット本人は意識することがないと思いますけど、周りでデザインするスタッフは行き過ぎる時はありますよね。そこをディレクションするのがマーガレットです。感覚でいうと、同じシャツを作るのでもボタンのサイズを少し大きくしたり、数をひとつ多くするくらい。それだけで随分表情が変わるんですよ。これは盆栽をいじっているみたいな感じかもしれない。ぱっと見は変わらないんだけど、「枝1本切っていたな」って気づく喜び、気づいてもらった時の“しめしめ”(笑)。そんな楽しみが僕の中にはあります。
「何も変えなくていい」とマーガレットさんに言われたことが
仕事を継ぐ上でのターニングポイントになりました(八木)
池田:先程のお話で、マーガレット・ハウエルで開化堂の取り扱いが始まったときに、何かマーガレットテイストのデザインリクエストが来るのかなと思ったら、「そのままでいい」と言われたとおっしゃいましたけれど、それが最もマーガレットらしいエピソードですよね。
八木:そのままを認めていただけたというのは褒め言葉であり、「開化堂はこれでいい、いらんことするな」と言われたようで背筋がピンとしました。その頃ってコーヒーの缶やいろんな物を作りはじめて、先代がやってきたことに何か自分自身を付け加えたい気持ち、”WE”じゃなくて”I”が出てきたときだったのですが、「いやいや、昔から作っているこのままでいいんちゃうの」って言われたような気がしたんです(笑)。それはひとつ、僕がこの仕事を継ぐなかでのターニングポイントになりましたね。
池田:その時マーガレットがいろいろリクエストしていたら、今の開化堂のあり方ももしかしたら変わったものになっていたかもしれないですね。
八木:確かにその後からよく開化堂らしいってなんだろうと考えるようになりました。昔から作っているお茶筒の縦横の変わらない比率、そこに気持ちよさがあるんだな、とか。親父がやってきたこと、祖父がやってきたことをもう一度見直すことができたんです。ちなみに、祖父の時代に蓋を一瞬、短くしたら売れなくなって、また戻したことがあるんですよね。先程のボタンの話と同じで、ほんの少しのことで見え方って大きく変わるんです。
池田:マーガレット・ハウエルと開化堂って、本当に似ている部分がたくさんありますね。だからこそ、繋がったんですね。
マーガレットと海岸を散歩したとき、
落ちている流木や石を拾って「こういうことなんだ」って(池田)
八木:朝日焼という宇治で400年続く窯元を紹介させてもらったのも、なんとなく同じものを感じたからです。朝日焼も100年以上ずっと同じ急須なんかを作っているけれど、各代で少しずつ色をつけたり、僅かに寸法を変えたりしている。その流れの気持ちよさっていうんですかね、そういうのがマーガレットさんに通じるんじゃないかなと思ってご紹介したんです。
池田:朝日焼は色にひとつ特徴がありますよね。釉薬の妙というか。マーガレットのデザインワークにおけるマーガレットらしさのひとつにもカラーが挙げられます。彼女の色の選び方はすごく独特なんです。色を選ぶこともデザインでとても注力しています。言葉では言い表せない色を見つけたり、気づくことも大切にしています。3、4年前に、冒頭のショートフィルムに出てきた海岸をマーガレットと一緒に歩いたことがあるんです。歩いていると、流れてきた木片や石が転がっている。ペンキが塗られてそれが何かに当たって禿げた流木や、長い旅を経て風化した石の色合いをマーガレットは僕に見せて、「こういうことなんだ」って。まさに口では言えない色、雰囲気。ランドスケープであったり、自然の持っている豊かさを拝借して自分たちのカラーにする心地よさ。そういうものを「日本のスタッフはわかってくれているかしら」と言っていました。ツイードのジャケットが何年も経って日に焼けて色が変わっても、それはそれでそのものの良さだし、それが味になる、というようなね。
マーガレット・ハウエルが存続しているのは
みんなに「変わらなくていいこと」の心地よさが伝わっているから(八木)
八木:それって京都の職人にも共通するかもしれないですね。京都の職人の作る物って、かっこ良すぎないものが多いような気がしていて。そういう部分はマーガレット・ハウエルさんの服からも伝わります。
池田:文化は違えど、歴史があるという共通点から来るものがあるような気がします。マーガレットの服は伝統的な物、オーセンティックなアイテムからのインスピレーションが非常に多いんです。トレンチコートやダッフルコートなどからインスピレーションを受けて、それ自体の要素は変えることなく、アレンジというか「ちょっとやってみちゃった」みたいな遊び心を乗せてみる。でも根っこであるオーセンティックな要素はちゃんとみんなわかっているから、マーガレットがやるとそういう着方、そういう合わせ方ができるんだ、という共通認識を持つことができる。日本とイギリスは歴史があることで変わらずに受け継がれて来ている物があるからこそ、誰もが「これはこういうことだよね」とストーリーを理解できるんですよね。これは八木さんが繋いでいく物にも近いように思えます。
八木:「相変わらずある」ということがすごく難しいんですよね。ずっと同じことを続けているように見えることが実はいちばん難しい。僕は何年か前に買ったマーガレット・ハウエルのコートを今でも着ていますけど、ある意味これってビジネス的にはダメですよね(笑)。でも、それでもマーガレット・ハウエルが存続し続けているということは、みんなに「変わらなくていいこと」の心地よさみたいなものが伝わっているからなのかもしれないなあ。
池田:もちろん毎シーズン新しい物を提案させていただいて、お客さまにはそれを買っていただきたいんですよ(笑)。でも、逆にお客さまが何十年も前にうちで買った服を着て来られるようなこともあるんです。そして、若いショップスタッフにマーガレット・ハウエルの良さをレクチャーしてくださる。そういうことがあるから続けてこれているような気がします。お客さまの心の豊かさのおかげでね。そういうブランドはそうそうないんじゃないかと。そこに胸を張って続けていかなくてはならないと日々思っています。
八木:池田さんは働き手として、変わり続けていくのではない心地よさってありますか。
池田:毎シーズン、新しく感じて欲しいという気持ちはあります。新しい物を買ってクローゼットに持ち帰っても新入りの顔をしていなくて、今まで自分のクローゼットの中に並んでいたかのように収まりよく入る。また違うシーズンが来たら、少し前の物を着てもその時の気分でサイズ感や色を楽しめる。それが、我々とマーガレットが毎シーズン仕事しながら目指していることです。
八木:ハリスツイードなんかの育っていく素材についてはどうですか。
池田:基本的にタフな素材が我々は好きなのですが、そういう素材で作った服は、ある意味買っていただいた時が一番カッコ悪いんです。それがお客さまが着続けているうちにスタイルに馴染んでいき、着る人の体型や癖に合っていく。ショップスタッフにはそういうことをレクチャーしています。
八木:それってすごく職人の物づくりですよね。僕らも一代ではなく代々使ってもらって、その人に合わせた修理をしたりもするので、使い手に合わせていくポイントもデザインする時に考えています。ファッションデザイナーというとやはり自分を出すということを大切にしている人もいると思いますが、改めてマーガレット・ハウエルはあくまで着る人を主役に据えた物づくりをしていますね。
何かを生み出すには、そして次に伝えていくには
「見て覚えろ」の部分がすごく大事(八木)
八木:僕らの世界では書いて説明することはなくて、「基本は見て覚えろ」です。言葉ではない部分で伝えていくことがほとんど。毎日親父が喋っていることだったり、感情の起伏、感覚を共有していくことで「開化堂らしい」ということをだんだん覚えていくわけですが、そこにこそ職人仕事の本質があるんじゃないかと僕は思っていて。うちの親父は、他の職人には教えるけど僕には教えてくれないんです。若い頃は「なんでやねん」と思ってましたけど、今思えば親父から言葉で教わっていたら、浅いところしか覚えられなかったでしょうね。見て学ぶと、能動的に考えて覚えることではじめて見えてくることがある。もしかしたらマーガレット・ハウエルもそういうところがあるのかな? 冒頭の50周年記念映像で「言葉ではなく映像でしか伝えられない」っていうのはすごくわかりますし、僕らが普段モヤモヤしていることをちゃんと伝えてもらえたなという気持ちです。「僕も映像作ろう」ってあれ見ながら思いましたもん(笑)。映像を見て、着る人の能動的な動きがあって、着る人と作り手の矢印が両方揃って、初めて伝わる物づくりなのかな、と感じました。
池田:感じて気づくことがすごく大切だと僕らも思っています。もちろん教えることもするけれど、感じるとか、気づくってやっぱり自分ごとで動かないとなかなかそうはならない。
八木:この前アメリカで映像を学んだ映像監督と話すことがあって、アメリカでは「見て覚えろ」はどうなんですか?と聞いたらやっぱりストラテジーを教えるのが先なんです。でも日本と順番が逆なだけで、ストラテジーを教えてから最後はやっぱり「見て覚えろ」なんですって。日本は逆で「見て覚えろ」から、だんだんストラテジーを教えていきますよね。国民性の違いだけで、クリエイションして何かを生み出すためには、結果「見て覚えろの部分がすごく大事なんだよ」という話をまさかアメリカの人から聞くとは思わなかったですけれど(笑)。
池田:デザインって感性ですからね。言葉じゃない。それ以上も以下もない。その感性を教える、導くというのはすごく難しくて、着心地って言っても、言葉ではわからないですよね。教えようがない。自分で感じとることがデザインには不可欠だと思います。
紙からデジタルへ。時代が変わるからこそ
使命として「変わらない変わり方」を見せていく(池田)
八木:これは、いま僕が物を作っていていちばん苦しんでいるポイントであったりもするんですが、これから先、オンラインがいろんな形で増えることで、触ってもらって初めてわかる気持ちよさが、伝えられなくなりますよね。シャツなんかも着てみて初めてわかる着心地がありますが、それをどうやって伝えていかれるんでしょうか。
池田 難しい質問ですね。我々もそこは挑戦していかなくちゃならないポイントだとは思っています。デジタルで、いかに五感に触れるか。興味を持ってもらうための工夫ができるかですよね。僕らでいうと、作っている過程をデジタルで見せることで、物づくりへのこだわりを見てもらって、「こういうふうに作っているんだ、面白いな」と興味を持っていただき、「触ってみたい、足を運んでみたいな」と感じてもらえないかと考えています。
八木:難しいですよね。
池田:難しいんですけど、今までやってきてないから、面白い。目の前で物を売るということだけでなく、洋服に仕上がった物だけでなく、縫製、糸、生地など、さまざまなアイテムを作っている工場や背景を見せることができれば、こんなに丁寧に作っているんだということを知っていただけます。我々がマーガレット・ハウエルとして「変わらぬ変わり方」みたいなことをやっている意味がある。使命というと大袈裟ですけど、それをやらないといけないなと思っているんです。
八木:物づくりの現場は変わらずにあるんですものね。それをいかに伝え、今の時代に合わせるかですね。
池田:それに関連して、今日は学生さんもたくさん聴講していただいているので、ひとつメッセージをお伝えしたいんです。僕が学生のころはDCブームで、デザイナーブランド、キャラクターブランドの全盛期でした。夜遊びに行くのにわざわざ着替えて出かけたりね。そんな中で僕は日本のブランドやアメリカ、ヨーロッパ、古着、いろんな服にチャレンジしながら自分のスタイルを見つけてきたんです。当時はイギリスが好きで、それまで自分なりのイギリス的な洋服を着ていたわけですけど、マーガレットと仕事をするようになって、僕のイギリスは違ったなって(笑)。僕の思っていたイギリスはスーツをビシッと着て、頭の先から足の先まできめることだったのに、マーガレットのアトリエのメンバーはみんな肩の力が抜けていて、ナチュラルで、気持ち良さそうに生活していて、それがすごく素敵だったんです。80年代に専門学校を出て、仕事をして、いろんな分野の洋服に手を出したからこそ、つくづくマーガレットの良さが僕にもわかったんですよ。今日は京都精華大学の卒業展も見せていただきましたが、そのなかで改めて思ったのは、若いうちはどんどんやりたいことに挑戦した方がいいということです。やり続ければその先に自分なりの気持ちよさや信じていることが見えてきます、でも、先にチャレンジがないと自分の枝葉が取れた姿が想像できない。だからこそ色々やってみて欲しいんです。最初から開化堂の削ぎ落とされたシンプルを目指さなくてもいい(笑)。僕もいろんなファッションの仕事を経たことで、落ち着いた心地良さっていうのをマーガレット・ハウエルから学べたのかもしれません。
第3部
マーガレット・ハウエルさんから京都精華大学の学生たちへのメッセージ
1. 学生たちの質問へ、マーガレット・ハウエルさんからの回答
質問:この業界で生き残るため自分らしいデザインを探しています。何かいい方法はありませんか?自分だけのデザインを見つけたいのです。
あなたが興味を持っていること、それがあなた自身のスタイルを引き出してくれます。好きなアーティストのグラフィックワークを見ながら、どうしてそれに惹かれるのか考えてみるといいかも知れません…色や形、リアルな感じ、反対に抽象的な感じ、そのスケール感、と言ったものでしょうか?そしてそういった要素をいろいろミックスしているうちに、あなたなりの新しい何かが見つかって独自のスタイルが導き出されてきます。ためらわず試行錯誤してみることです。 あなたが感じているもの、それがあなた自身のスタイルを表現してくれます。 |
質問:学生時代にこれをしておけばよかったと言う後悔はありますか?
はい。振り返ってみると、アートカレッジの2年目に絵画ではない専攻を選ぶべきだったのかもと思っています。 私が通ったアートカレッジでは1年目に版画や彫刻、3Dコンポジションや人体デッサンなど様々な表現手段を使ったプロジェクトが必修でした。ブリーフという解釈の課題が好きで、デザインを職業にするための良い準備になったと思います。 ただその後の3年間で絵画を専攻にしてしまいました。当時ほとんどの学生が興味を示していたものは私にはピンと来なかった抽象画でどうしていいのか分からない感じでした。改めて考えてみると、周りの同級生たちの壮大な抽象画に臆せずリアリスティックな絵画を続けるべきでした。 |
質問:世界的な仕事をするキャリアの最初に、どのような困難を経験しましたか?
アートカレッジを卒業して活動を始めるまでが最大のハードルでした。 これと言った具体的な考えもなく、ただクリエイティブなことをしながら生活していきたいと思っていたのです。 もともと子どもの頃から何かを作ることが好きだったし、卒業後の仕事探しもうまくいっていなかったので、アクセサリーを作り始めました。小売店のバイヤーに見てもらうための小物…ニットの帽子や、ビーズを繋いだハンドメイドのネックレスやブレスレットといったものでした。そしてあるブティックが買ってくれた時、自分が好きなものを作ってそれを認めてくれる人たちに売ることができると実感したのです。今までも自分の服を作ってきたし、服作りのプロセスが好きだったから、服作りならできるんじゃないかと。 それは私自身ができること、そして他の人に指示を出し、取り仕切れることでした。縫製職人を雇うようになって、彼女たちからたくさんのノウハウを教えてもらうこともできました。こんな風にすべてが始まったのです。 志しは高かったけれど、大きなビジネスのためでも大金持ちになりたいからでもありませんでした。 |
質問:学生が世界中で働き始める自信が持てるまでには、どのくらいの経験/知識/スキルが必要だと思いますか?
大学生で「国際的な」経験、つまり知識とスキルが伴う実績があることは稀でしょう。でもあなたが好きなことをそのままに伸ばすことです。私自身の「ブレイク」は一般的には「趣味」と呼ばれるものがもたらしてくれました。チャンス到来に備えて、今がその時だとわかるようにすることです。 私は共に仕事をする人たちに恵まれました。特に日本では、私のこだわりを理解して一緒に仕事をしたいと思ってくれる経験豊かなビジネスパートナーに恵まれました。私たちは足並みを揃えて、妥協のないデザインで異文化の日本に私のスタイルを提案したのです。 信頼できる人を見出す能力は、あなた自身の才能を信じることと同じくらい大切です。共に仕事をする人を選ぶ時に自分の判断を信じることです。成功すると、作り出す物の量やはばを広げていかなくてはならず、問題は避けて通れません。経験というものは信頼できる人たちと一緒にそういった問題に直面しながら得るものです。 |
質問:クラシカルで伝統的な素材を活かしながらモダンに見せる。そのようにしたいと思ったきっかけを教えてください。
屋外活動と自然への愛。アクティブなライフスタイル、ウォーキングやスポーツ…私のこだわりやライフスタイルは両親から受け継いだ家族的なものです。 私の母は服のクオリティーや天然素材にこだわっていました。両親はお金持ちではなかったけれど、上質のものを買うための節約は惜しみませんでした。私たち子どもは「look after things ものを大事にしなさい」と教えられました。 10代だった1960年代、雑誌のファションページに興味があったけれど私自身のファッションはもっと保守的でした。機能的な服に惹かれていたからです。イヴ・サンローランのウィメンズのパンツスーツ、キャサリン・ヘップバーンやジェーン・バーキンの着こなし、女の子がわざとメンズのジャケットにデニムを合わせたフランスの「スティル・アングレ=英国風スタイル」といったものです。当時の私はその後自分自身のスタイルとなる審美眼や実用性へのこだわりに、知らず知らずのうちに近づいていました。 |
質問:マーガレットさんの手がけるデザインが決して古くさく見えないのはなぜでしょうか。こだわりがあればお聞きしたいです。
プロとして服を作るようになった時、私がお手本にしたのは大好きだった定番アイテムでした。でもそういったクラシックなものにでもいつもさりげない変化をつけたいと思っていました。わざと大きくしたり、長くしたり、作りをソフトにしたり…モダンなライフスタイルにアップデートしてあげるのです。そしてヒールなしのレースアップシューズでコーディネートを仕上げます。こういった変化の付け方は直感的なもので、「どうして」を言葉にはしづらいですね。ボリュームや全体のバランスに対するフィーリングでしょうか。色の組み合わせが新鮮で、これだと思うこともあります。そして、スカーフを巻いたり、ベルトを締めたりといったアクセントはしっくりなじまなければなりません。 |
質問:作ったものが自分のスタイルだと、実感する時はどの様な時ですか。また、自分のスタイルを磨くためにどの様なことをしていますか?
最初から自分の作っているものが「確立したスタイルとして見られる」と意識していたわけではありません。服を自作していたのは、欲しいものは分かっているのに、それをお店で見つけることができなかったからです。それに私はクオリティーの高いものづくりや素材に惹かれていて、1970年代で言えばバーバリー、マッキントッシュ、ジョンスメドレー、トリッカーズの靴、スコティッシュカシミアのニットなど英国の老舗ファクトリーに憧れもありました。でもそういった老舗ファクトリーと仕事をする時もさりげない変化をつけたいと思っていました。 そうして、シャツから始め、ジャケット、トラウザーズ、レインコートなどを作って10年経ったころに私自身のデザインをトータルスタイルに広げることにしたのです。 私がデザインするものが特徴的だったのは、そのカッティングや肩の力の抜けたカジュアルなフィーリング、クオリティーの高いものづくりに根ざしていたからだけではなく、誰にとっても平等な服だったからです。メンズの服でも女性客が買ってくれていました。当時の私たち世代の変わりつつあったライフスタイルが垣間見えます。女性客も私のように、1960年代のクリエイティブで過激なファッションに圧倒されつつも、必ずしもそのままの格好はしなくないと思っていたのでしょう。「トレンド」そのものではない、ウェアラブルな良いデザインを求めていたのです。 服の機能とキャラクターに適った素材を見つけようと思っています。他にも、ディテールや全体とのバランスを忘れないこと。前述した通り、その時代にぴったりくるフィットや長さと言ったポイントが直感でわかるのです。 |
質問:デザインから素材感、着心地や使いやすさまでこだわりを持って作られていると思うのですが、学生の頃からそういった服などを購入されていたのでしょうか?
はい。学生時代にキャシャレルの美しいウィメンズシャツやシェットランドのクルーネックセーター、そして高価なレザーのブローグシューズに憧れました。買うためにお金を貯めなくてはいけませんでしたが、今でも忘れないのはむしろ、そういったアイテムがとても好きだったこと、そしてクオリティーとスタイルを兼ね備えたものを持ちたいと強く思っていたことです。 それとは別にリーバイスのデニムやプリムソール、サロペットやフランスのインディゴのファーマーズジャケットも着ていました。そしてヴィンテージの服や雑貨を探しにチャリティーバザーに出かけたものです。店のラックにかかっているありふれたものではない個性的なものをいつも探していました。 |
質問:課題に取り組んでいる時、他人の作品ばかりがよく見えてなかなか自信が持てません。自分のデザインに自信を持つにはどうしたら良いのでしょうか。
誰にでもそういうことはあるものだと思います。そして間違ってしまうこともあります。忘れないでいてほしいのは、最初にスタートした人が必ずしも一着になれるわけではないということ。あなた自身を他の誰かと比較する代わりに、あなたの専攻のデザインの中であなたが好きでないものを見つけ出してみてください。そしてどうしてそれが好きではないのかを自問することで、あなたのこだわり、あなたが何を大事にしているのかがわかるでしょう。あなたにインスピレーションを与えてくれるものと向き合っているか、ということ。それがあなたの制作したいもの、それを実現するヒントになってくれるはずです。 |
質問:MHL.のウィメンズのデザインにはメンズライクな要素を感じます。デザインをする上で何か性別の意識などはされていますか?
はい。ただ、機能的なスタイルの多くはその垣根を越えることができます。主な違いは素材、シルエット、全体のバランスに出ます。 |
質問:多様な価値観が認められつつある現代での「女性らしい」「男性らしい」とは何だと思いますか?
そういったことはあまり考えません。これまでの自分の回答が明確だといいのだけれど、見返して分かるのは、私が作っているのはあくまで服であって自分の立場を表明するようなものではないということです。誰かに会って興味を持つのは、その人のキャラクターや能力で、その人がどんなカテゴリーに当てはまるか、ということではありません。私が「らしさ」を気にしないのは、進歩的な時代だった1960年代に共学に通っていたからでしょうね。 姉と私がまだ10代だったころに、お互いに髪を短いレザーカットに切り合いっこして「男の子?女の子?」と言われたことがありましたが、私たちは「だから何?」と思ったものです。 |
2. 京都精華大学のみなさんへ
みなさんの質問への回答を依頼されて光栄でした。うまく答えられているでしょうか。クリエイティブな仕事では、自分の道は自分で切り拓き、他者の言葉に耳を傾けながらも結局は自分を信じることを学ぶしかありません。そして仮に他の誰かに抗うことになっても、それが学びになるということを知ってください。みなさんの将来の幸運を願っています。
2021年1月18日 マーガレット・ハウエル
このイベントの運営費用は、私立大学研究ブランディング事業に係る交付金から一部支出しました。
協力:株式会社TSI(旧・株式会社アングローバル)/株式会社
写真:石川奈都子
Text:金 とよ
翻訳:hanare x Social Kitchen Translation