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石黒宗麿と八瀬陶窯

若き学生の学びや、研究活動のフィールドとして

近代陶芸を代表する陶芸家、石黒宗麿(1893-1968)が晩年を過ごした工房兼住居「八瀬陶窯」には、作陶生活の痕跡が往時のまま残っています。 この土地・建物は、関係者とご遺族からの寄託により現在、京都精華大学が維持管理をおこなっています。
登り窯周辺から発見された数百点もの陶片は、石黒の試行錯誤の激しさを私たちに伝えます。数えきれないほどの失敗から生まれたひと握りの成功が、当時の、そしてその後の陶芸界に大きな影響を与え続けています。 近代陶芸界の礎を築いた石黒宗麿。その手仕事の跡は、没後50年を経て、若き学生の学びや、研究活動のフィールドとして息づいています。

2018年には、八瀬陶窯の調査研究中に登り窯(二の間)から本人作と思われる「木葉天目茶碗」が発見されました。同時に「灯油窯」や「楽窯」などの設備も新たに発見され、往時の石黒の作陶風景を知る手がかりとなりました。

 


 

■石黒宗麿 ISHIGURO Munemaro 1893―1968
1893(明治26)年、富山県射水郡作道村(現射水市)に医者の長男として生まれる。25歳の頃に見た曜変天目茶碗の美しさに感銘を受け陶芸家を志す。東京、埼玉、金沢と転居しながら作陶を続け、1927(昭和2)年に京都市東山区に居を移す。天目釉を中心に東洋古陶磁のさまざまな技法研究に取り組んだが特定の師にはつかず、古陶磁を教材として製陶研究に勤しんだ。1936(昭和11)年には京都市左京区八瀬に築窯した住居兼工房である「八瀬陶窯」で作陶を始める。1955(昭和30)年、鉄釉陶器の技法で重要無形文化財保持者(人間国宝)認定を受けた。1956(昭和31)年に八瀬陶窯を財団法人化し、後進の陶芸家養成の拠点づくりをめざした。

 

■八瀬陶窯 Yase Toyo Kiln
1936(昭和11)年、石黒宗麿が43歳のときに京都市左京区八瀬に築窯。以後、暮らしと作陶の場として晩年までを過ごす。庭にはさまざまな木々や草花が植えられ、自然の景色をこよなく愛した文人・石黒宗麿の横顔を今に伝える。2003年から京都精華大学が管理をしている。

提供:射水市新湊博物館

 

■「木葉天目茶碗」

 

写真:中島光行