Report

2020.1.5Sun

「We – 工芸から覗く未来」 ディスカッション「未来へのバトン」

Text / YONEHARA Yuji

<京都精華大学 伝統産業イノベーションセンター×KYOTO KOGEI WEEK 2019>
シンポジウム「 We-工芸から覗く未来」
日 程:2019年9月1日(日) 13:00~17:00
会 場:京都国際マンガミュージアム
主 催:京都精華大学 伝統産業イノベーションセンター
共 催:「KYOTO KOGEI WEEK」実行委員会
協 力:文化庁京都府京都市京都商工会議所
参加費: 無料
 
 

「 We-工芸から覗く未来」全文公開にあたって
「 We-工芸から覗く未来」オープニング
「 We-工芸から覗く未来」第1部 「ファッション素材としてのフィッシュスキンと京都の染色技術」
「 We-工芸から覗く未来」第2部 「手仕事の、次の1000年のために」

[写真で振り返る]シンポジウム「 We-工芸から覗く未来」

 
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ディスカッション
未来へのバトン
 
 

[登壇者]

中村祐太
京都精華大学 芸術学部教員
1983年東京生まれ、京都在住。2011年京都精華大学芸術研究科博士後期課程修了。博士(芸術)。〈民俗と建築にまつわる工芸〉という視点から陶磁器、タイルなどの学術研究と作品制作を行なう。近年の展示に「第20回シドニー・ビエンナーレ」(キャレッジワークス、2016年)、「あいちトリエンナーレ」(愛知県美術館、2016年)、「柳まつり小柳まつり」(ギャラリー小柳、2017年)、「MAMリサーチ007:走泥社-現代陶芸のはじまりに」(森美術館、2019年)など。著書に『アウト・オブ・民藝』(共著、誠光社、2019年)。

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金谷勉
有限会社セメントプロデュースデザイン 代表取締役/クリエイティブディレクター
1971年大阪府生まれ。京都精華大学人文学部を卒業後、企画制作会社、広告制作会社を経て、1999年に有限会社CEMENT PRODUCE DESIGN(セメントプロデュースデザイン)を設立。伝統工芸や地場産業の世界にはなかった発想を持ち込み、新たな可能性を創造する商品を多くプロデュースしている。2011年からは、全国各地の500を超える町工場や職人と流通を見据えた協業プロジェクトや情報連携も進めている。近著に『小さな企業が生き残る』(日経BP)京都精華大学伝統産業イノベーションセンター特別共同研究員。
http://www.cementdesign.com

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中川周士
中川木工芸比良工房 主宰
1968年京都市生まれ。1992年、京都精華大学美術学部立体造形卒業。大学卒業と同時に父清司(重要無形文化財保持者)に師事、木工職人として桶、指物、刳物、ろくろなどの技術を学ぶ。木工職人として10年間働きながら、鉄による現代美術作品も制作発表。2003年滋賀県志賀町(現在は合併により大津市)に独立工房「中川木工芸比良工房」をひらく。伝統的な桶制作の技術を用いて、新しく洗練されたデザインのシャンパンクーラーなどの作品を手がけている。京都精華大学伝統産業イノベーションセンター特別共同研究員。
https://nakagawa.works


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永田宙郷
合同会社ててて協働組合 共同代表/プランニングディレクター
1978年福岡生まれ。金沢美術工芸大学芸術学専攻卒。大学在学中の2001年に仏・エルメス社と刀剣を制作し、第6回イスタンブールビエンナーレはじめ、現代アートの展覧会に出展。その後、金沢21世紀美術館(非常勤)、デザインプロデュース会社等を経て現職。『ものづくりをつくる』をコンセプトに数多くの事業戦略策定と商品開発に従事。伝統工芸から最先技術まで時代に合わせた再構築や、視点を変えたプランニングを多く手掛ける。2012年より『ててて見本市』を開催。京都精華大学伝統産業イノベーションセンター特別共同研究員。
https://tetete.jp

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八木隆裕
茶筒老舗 開化堂六代目
1974年京都市生まれ。大学卒業後、京都ハンディクラフトセンター(アミタ株式会社)での勤務を経て開化堂の六代目を継ぐ。修業の後、イギリス・ロンドンでのプロモーションに単身で挑み海外販路の拡大に挑戦。また海外デザイナーとのコラボレーションによる新しいプロダクトラインの開発も手掛ける。伝統工芸の若手後継者がこれまでにない新しいものを生み出していくプロジェクトユニット「GO ON(ゴオン)」のメンバーとしても活動。過去の概念にとらわれない、新しい工芸の有り方を模索している。京都精華大学伝統産業イノベーションセンター特別共同研究員。
https://www.kaikado.jp


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鞍田崇
哲学者、明治大学理工学部准教授

哲学者。1970年兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業、同大学院人間・環境学研究科修了。博士(人間・環境学)。専門は哲学・環境人文学。総合地球環境学研究所を経て、2014年より現職。近年は、ローカルスタンダードとインティマシーという視点から、工芸・建築・デザイン・農業・民俗など様々なジャンルを手がかりとして、現代社会の思想状況を問う。著作に『民藝のインティマシー「いとおしさ」をデザインする』(単著、明治大学出版会2015)、『「生活工芸」の時代』(共著、新潮社2014)、『〈民藝〉のレッスンつたなさの技法』(編著、フィルムアート社2012)など。

http://takashikurata.com/

 

米原有二

京都精華大学 伝統産業イノベーションセンター長

1977年京都府生まれ。京都を拠点に工芸を対象とした取材・執筆活動をおこなう。2017年に京都精華大学伝統産業イノベーションセンター特任講師に着任。工芸を起点とした社会研究・教育に取り組む。おもな著書に『京都職人 -匠のてのひら-』、『京都老舗 -暖簾のこころ-』(ともに共著・水曜社)、『京職人ブルース』(京阪神エルマガジン社)、『近世の即位礼-東山天皇即位式模型でみる京職人の技術』(共著・青幻舎)など。

 
[司会]
吉村和真
京都精華大学 副学長
立命館大学大学院博士後期課程単位取得退学。専門は思想史・マンガ研究。現在、これまで蓄積してきたマンガ研究成果の社会還元を進めている。主編著に『差別と向き合うマンガたち』(2007年)、『マンガの教科書』(08年)、『複数の「ヒロシマ」』(12年)、「コンビニエンスなマンガ体験としての『知覧』―『実録神風』のメディア力学」(福間良明・山口誠編『「知覧」の誕生』所載、15年)、「手塚治虫―逆風が育んだ「マンガの神様」」(岩波叢書『ひとびとの精神史』4巻所載、15年)、『障害のある人たちに向けたLLマンガへの招待―はたして「マンガはわかりやすい」のか』(18年)など。
 
 
[同時通訳]ART TRANSLATORS COLLECTIVE
田村かのこ
相磯展子
樅山智子
 

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■中村: 僕はいわゆる職人ではなくて、個人の作家としてものをつくっています。そこを踏まえてもう少し引いた目線で今日の議論を見ていきたいなという思いがありました。あったのですが、シンポジウム直前に米原さんから、「第1部と第2部を聞いてメモを取り、それを書画カメラで映して」と無茶ぶりをされました。どうしようかな、と思いながらやっていたんですけど、7枚書きました。

 (スクリーンの映写がぼやけてメモがはっきり見えない)すごくきれいですね。朝起きたときって、こんな感じがします。

 今日は「産業的な工芸」という話がメインになっていたかと思います。ただ、永田さんのお話にもあったように「美術工芸」や「個人作家」も含めて工芸を考えることが必要なのかなと思いました。また、冒頭の挨拶でサコさんがマリにおける伝統的な工芸は、世襲と民族によって継承されていくということをおっしゃっていました。そして、継承されるかどうかは信頼による、と。たとえ親子であったとしても、継承されない事例というのは、継続可能な工芸のあり方を考えていく上で、ひとつの指針にもなると思いました。

 第1部のお話を聞いて、「鮭と植物が出会うとなんか美味そうだな」って思いました。たとえば、クロコダイルの革と、天然染料で染めた鮭の皮だと衣服に対するイメージが変わりますよね。スライドでは、アイヌや北極圏の民族衣装のなかに鮭皮の衣服が出てきましたが、実際に自分がその服を着るときにどう感じるのかな、とも考えました。

 今回のシンポジウムの事前打ち合わせを(鞍田、中村、米原の)3人でしたときに、「本来、工芸ってもっと野蛮なものですよね」と話したんです。あえて「野蛮」という言葉を使いました。僕自身の感覚としては、現在における伝統工芸がなにかとても洗練されたかたちで進んでいるような気がしていて。けれど、おそらく「工芸」という言葉には、野蛮さや幼稚性みたいなものも同時にはらんでいただろうし。

 そこらへんの感覚が、僕の工芸観のスタートにあります。たとえば、戦前の民俗学者に今和次郎という人物がいるんですけど、柳宗悦らの民藝とはちょっと違う位置で工芸を捉えていた人です。今は、1916年に柳田國男たちが立ち上げた「白茅会」という会に参加します。彼らは、都市の生活空間がどんどんと近代化していくなかで、忘れ去られていく農村の民家を調査しました。今はさらに生活の道具やちょっとした工作などにも関心を寄せ、スケッチで記録していきました。そして、1922年に『日本の民家』という本にまとめるんですが、その解説を藤森照信さんが書いています。すごく簡単な言葉なんですけど、「人と物との初原の関係の面白さと切なさ」というのが、今和次郎がやりたかったことだと記されていました。

 工芸を考えるときに、美しさや面白さと同時に、何か切ないと思える感受性も必要な気がしています。僕はアイヌの鮭皮の靴を見たときに、なにかそういうものを感受した感覚があって。

 ですので、フィッシュスキンのプロジェクトは、それが産業的にどう活用されていくかが重要だと思いますが、それも踏まえたうえで、そういった面白さと切なさの感覚が産業的な工芸においてもどのように機能し得ることができるのかを考えさせられました。

 

■鞍田:またしゃべりたいネタを持ってきた。指摘いただいたのは2つ。野蛮さと、切なさですね。第2部の終盤に自然についての話題が出てきたけど、自然はやっぱりそんなに生易しい世界じゃない。
 自然って人間とは別に在るものですから。でも、それに果敢に向かっていくという野蛮さみたいなものがあるだろうし、一方で自然を活かし生かしていくことは、そうじゃないと生きていけないという貧しさ、切実な生活実感みたいなもの。それがある意味での切なさみたいなものでしょうか。
 だから、中村くんが指摘してくれた野蛮さと切なさは表裏一体のものなんですけど、この言葉にこだわらなくてもいいんです。今の話を受けて、何かお感じになることがあれば。

 


■中川:「ハレとケ」という表現があるように、木桶って、30年ぐらい前までは工芸でもなかった。いわゆる民具の世界。うちのお祖父ちゃんがよく言っていたのは、「桶は土間づかい」だと。要するに、畳の上でも、食卓の上にも乗らない。土間に置いて使うもの。それを、「床の間に飾れるような桶をつくりたい」とお祖父ちゃんたちが頑張ってきた。一方で、西陣織のように古くから「雅の世界」の工芸もある。貴族の装束をつくっているような。このふたつの世界観って大きな隔たりがある。

 

■中村:あともうひとつ思ったことは、工芸って自立したひとつの領域のように語られがちだけれども、今のお話のように工芸品が生活空間のどこに置かれるか、という視点もある。桶が土間にあるのか、床の間にあるのか、と。

 「工芸の未来」ということを考えたときに、工芸という領域がどんどん先鋭化し、洗練されていくイメージをもってしまいますが、もっと領域横断的にも捉えていくことが大切だと思います。今の中川さんのお話はすごく腑に落ちました。今和次郎も土間にある桶をスケッチに描いていました。


■永田:今、漆の世界で2000年ぐらい歴史を巻き戻すと何ができるか、というのをやっています。現代では漆は器を塗るためのも、という印象がありますけど、300年ぐらい遡るとやっぱり補強材としての役割が大きかった。どうやって薄い木から水を漏れなくするか、という。そして、500年ぐらい遡ると、当時はまだ磨きの技術があまりなかったのでさらに防水材や補強材という役割が強くなっていく。時代をどんどん遡っていくと、もっとも古い日本の漆の事例は弥生時代半ばぐらいの、船の底に漆の木を直接こすりつけただろうみたいなことになる。
 今、漆にナノファイバーを混ぜて補強材としての可能性が高まっていますが、1000年前、2000年前まで遡ると意外と次の用途が見えてくる。というか、ソフィスティケートするがゆえに忘れてしまったもともとの強さを今だからこそ呼び起こせるんじゃないかなということをずっとやっています。

 漆は結構強いですよ。かつ、日本の気候でも水分を吸うとどんどん硬化していきます。今は紫外線(に弱い漆の特性)の問題もどうにかクリアできるところまできました。
 意外と野蛮さというか、粗野だったころの工芸を取り戻すことで、その次の工芸の姿が見えるんじゃないかな、ということを思って取り組んでいます。

■鞍田:今日は京都の事例、海外の事例が中心ということもあったのであまり話さなかったんですが、僕自身は普段はどちらかというと東北地方に行くことが多いんです。野蛮という形容が適切かどうかは置いておいても、東北にはやっぱりそこを感じる。さらに言うと、なんだろう、その「切なさ」というオブラートに包む以前の、ダイレクトな貧しさみたいなものとかも。でも、それがある種、逆に転じて逞しさだったりするんですよね。
 昔はそれをうまく言語化できなくて、もやもやしている時期があって。あるときに、そういう話をつくり手さんとか、売り手さんに話す機会がありました。
 すると「じゃあ、僕らが貧しくなればいいんですか」とか「そういう切なさで人ってものを買いたくなりますかね」とか言われて、もうぐうの音も出なかったというか。
 僕はそこにすごくきゅんときているんだけど、人が思わず手が伸びるときって、みすぼらしいのにあえて手が伸びるということがもしかしたらあるかもしれない。
 届けたいものをこちらに抱え込みながらも、もしかしたらもう一歩、もう一皮むけていくというか、そんな必要もあるのかなと思っています。

■金谷:さっき自然の話題が出てきたんですけど、かたや、今はAIなどのテクノロジーが次々と出てきているなかで、実は自然に向き合うことと同じだけ僕たちはそっち(テクノロジー)にも向き合わないといけない時代じゃないかなと思っています。
 そういった分野の人たちと話すと、楽しいことをどんどん工芸の世界に放り込もうとしてきてくれるんですね。彼らは「工芸は気持ちいいものですね」と言う。

■鞍田:もちろん工芸は近代社会のなかでインダストリーに取って代わられたフィールドではあると思うんです。どんどん産業化していって、そのなかで美術的な側面に行くのか、あるいは他のさまざまなアプローチで生き残りを図ってきた結果(が今の工芸)です。

 僕が民芸に惹かれているのは、そこでメインストリームとなっていった工業をあえて追わずに、取りこぼされていったものになんとか光を当てようというその姿勢だったんですね。
 今日、アートよりも今はクラフトが来ているという話もあったんですけど、それってもしかしたら、クラフト/工芸にとって、足元をすくわれかねない状況でもあるのかなと思って。
 この表現が適切かどうか分かんないけど、負け組だったからこそ逞しさがあるわけじゃないですか。つまり、メインストリームから落伍してもやり直しがきく社会みたいな、別の選択肢を提案してきたところも工芸にはあったと思うんです。

 そのときに、「工芸が勝った」とか「これからは工芸だ」と言ってしまうことの危うさも、本当は工芸が持っていたこの近代社会のなかでのポテンシャルを見失いかねないところもあるのかなということを今の話の流れで思いました。けっしてAIに向き合うことが間違いだとかと言いたいわけではないんだけどね。

■中川:工芸って、やっぱり器なんやなと思うんです。工芸自体がプラットフォームと言ってもいいと思います。さっき僕もアート、クラフトという序列があるみたいなことを言ったけど、むしろ工芸の上にアートやデザインや工業というものが乗っているイメージが正しいと思っています。
 文明の起こりみたいなものの象徴が工芸。道具を手にする、工芸を手にすることによって、人間は人間になれた。そう考えるとその上に乗っているアートやデザインや工業は、工芸というプラットフォームに上積みされた部分じゃないかな。だから、そこ(工芸/アート/デザイン/工業)を横並びに考えるということが問題なんじゃないかな、と思います。

■米原:民芸も工芸もそうですが、言葉を定義して思想が固まっていくととても強いなと思う一方で、そこからこぼれ落ちる人たちがすごく多くなる。工芸の良いところのひとつは分業制作。よく西陣織で何十工程、京友禅で何十工程と表現されるように、手元にものが残らない仕事をしている人というのがすごく多い。むしろの京都の工芸ではそういった職人さんが圧倒的多数。絹糸に縒りをかける作業に特化しているような中間工程です。
 そういう人たちは、民芸的な視点からこぼれたし、今では、海外で自分のものをどう売っていくか、という動向からもこぼれている。デザインの力を借りよう、という動きにもうまく対応できない。不可能だとは思わないけども、やっぱり難しい。工芸の世界で派手な動きが注目される一方で、こうしてこぼれていく職人さんたちがいて、僕は定義づけることの危うさとか、怖さみたいなものをすごく感じます。定義づけの意義はよく理解できるしわかりやすさの魅力もある。でも、慎重になっちゃうんですね。曖昧にしておくことでこぼれ落ちない人もいるから。


■八木:ひとつ鞍田さんに聞きたいことがあります。僕や中川さんは工芸の「外」から戻ってきたんですね。(家業に入る前に)一回よその仕事をしたり、アートをしていた。だから、(工芸が)取りこぼされたと思っていないというか、工芸こそが自分にとってはメインストリームであるという感覚を持っています。僕らはそう思っているんですけど、こういったことについて東北の工芸の人たちはどう思われているのでしょうか。

 

■鞍田:やっぱり自然との付き合い方、感じ方、分厚さというのは圧倒的に都市部とは違うので、先ほどの東北の例はそこを指摘したかっただけなんです。
 こぼれた、という話がありましたけど、それってもしかしたら20世紀的な発想かもしれないですね。大きなひとつのメインストリームみたいなものが働き方にも、生き方にも、社会のあり方にもあった時代。それに対して、今はいろんなものが答えが見えないぐらいに多様化している。どれが正しくて、どれが間違っているとか、どれが勝っていて、どれが負けているか、そんな言い争いがナンセンスと言っちゃナンセンス。ところが、それをナンセンスと言い切れる人はいいんです。でも、大多数の人はそこから「俺は失敗した」とか思っちゃう。八木さんや中川さんの仕事、働き方というのは、きっとその受け皿になる要素が潜んでいるはずで、その可能性を探ってほしいなという気がするんです。

 

■中村:永田さんの概念図はすごく面白かったです。最近、僕は工芸という言葉がはらんでいる領域って、思っていたよりもずっと広いのかなと考えはじめています。メモには、子供の工作とか、日用品の修繕を書きました。あと、赤瀬川原平のトマソンなんかも。

 僕自身の取り組みとして「アウト・オブ・民藝」という活動があります。これは、民藝運動の周縁にあったさまざまな運動を文献ベースに掘り起こし、その相関関係を紐解いていく試みです。京都の書店「誠光社」での全5回のトークをもとに一冊の本にまとめています。そのなかで感じたのが、民藝ってある意味サスティナブルな運動であったとも言えるのかなと。いいかえるなら、土地の素材や技術と結びつきながら産業的に拡張していく試みだったのかもしれません。他方で、民芸運動と同時期にあった前衛的な運動は、継続しなかった。けれど、今の時代からみると、新しいアイディアとして見直していくことができるのかもしれません。

 先日、海野弘さんの『日本のアール・ヌーヴォー』という本を読みました。そこには、1919年に自由画教育運動と農民美術運動を先導していた山本鼎という人物の話が載っていました。本のなかでは、柳宗悦と山本をつないでいます。一方で柳宗悦は、戦前に朝鮮に渡り、かつての李朝の民衆的な工芸品に美を見いだしていく。つまり「過去」を志向していた。もう一方で、山本は、画家を志してフランスに留学し、帰りにロシアに寄ります。ちょうど、ロシアアヴァンギャルドが起こる前で、フォークアート(農民美術)が注目されていました。そして、日本で農民美術運動を掲げ、農閑期の人たちが副業でできる木彫を教育的に広めていきました。つまり「未来」を志向していた。けれど、その活動は一時的で今日の民藝ほどの広がりをもちませんでした。

 柳と山本の違いはなんなのかというところを考えてみるのも面白いですし、サスティナブルであるということが、ひとつの視点ではあるけれども、必ずしもそうじゃない工芸も同時に考えることも大事なのかなと思いました。

■八木:今の世の中とあまり変わっていないのかもしれないですね。
 今まで(の工芸)はつくり手主導で出来上がってきた市場の価値があって、買い手はそこにあるものからしか選んでいなかった。
 そこが、今は買い手というか使い手というか、そういう人たち主導している。使う人の話を聞くことから生まれたものがある。ここに「
価値の伝え方」が変わっていく可能性があるように思う。

■永田:たとえば、よく売られているお椀のサイズの定型ってあると思うんですけど、つくり手が隣にいた頃には「もうちょっと大きくして」とか「高台を低くして」と一緒につくっていたんじゃないかと思う。
 この数十年間でその両者に距離というか断絶が生まれてしまって。理由は社会の変化だったり、経済の変化だったり。さっき八木さんが言っていた「ものづくりの音が騒がしい」ということなのかもしれません。
 でも今オープンファクトリーなどもおこなわれるような状況になって、ようやく両者の関係の調整ができそうなのかな、と思いますね。以前だったら中川さんや八木さんの工房を見学するなんてできなかったですよね。それが今は見る機会がある。工芸にとっては良い時代になってきたんじゃないかなというのは思っています。

 

 

 あと、「フィッシュスキンが美味しそう」という話もありましたが、それで思い出したことがあります。農業において欠かせないのって「風」と「蜂」らしいんですよ。ものが育っていくには、揺れないと駄目なのと、受粉で交配させる必要があるから。工芸はその地域のアイデンティティーなんかを多くを含んでいるので、各地の工芸が交流することが、さまざまな文化や志向を交配させることにもなる。ある人に「それって蜂の役目じゃないか」って言われました。そして、そういう役目を目指すべきだと。

■鞍田:もうこれでまとめよう。

■米原:あとひとつだけ。今日は登壇者ではないんですけど、(TSUGIの)新山くんが会場に来ています。福井県の鯖江市で、工芸を含めた地域のことをずっと見ている新山くんにマイクを渡したいです。彼は地域のことを考えるなかで、食べ物も、ものづくりも扱うし。

■鞍田:このデスクもね。

■米原:今回のシンポジウムでは空間構成やグラフィック全般も協力していただきました。京都精華大学の卒業生です。

■鞍田:蜂や、働き蜂や。

■米原:そう、蜂の話でこれは新山くんだ、と。

 

■新山:僕はデザイナーとして働いています。出身は大阪で福井県鯖江市に移り住んで今は11年目です。最初は地域活性がしたくて行ったんですが、どうにも街に元気がない。鯖江はものづくりの街ですが、ものづくりに元気がないから、地域活性もなにもないんだ、と気づきました。
 「じゃあどうやったら元気になるねん!」とよく考えたときに、(売ること、お金を稼ぐことの生々しい)経済的な改善はめちゃくちゃ大事なんだな、とあらためて感じたんです。
 それもあって僕はデザイナーになったんです。自分で言うのもなんだけど、「ものづくりの周囲にいる人」が本当に大事なんだと思って。鯖江の場合はそれが地域が良くなることにも繋がる。僕はもともと京都精華大学で建築を勉強していたんですが、卒業後に思いきってデザイナーに転身しました。

 鯖江は移住者が多い街です。今、鯖江に来ているメンバーにはデザインやマネージメントを仕事にする人やカフェをしたい人なんかもいます。そういうことが少しずつ増えていって、「ものづくり」と「街づくり」と「人づくり」が生態系のように関わりを持っているのが見えるようになりました。
 「ものづくりの周囲にいる人」が増えると、地域や工芸が生き残り考えるときの選択肢が増えるんじゃないかと思います。
 あれ、これ蜂の話と繋がっていますかね?大丈夫?

■鞍田:大丈夫。話題はほとんど酒を飲みながらやるような勢いの話になっている気がするんですけど、せっかく長時間お付き合いいただいているご来場の皆さんがおられるので、いろいろご期待やご批判もあると思うんですが突っ込んで頂けましたら。どなたかありませんでしょうか?

 

■来場者から:私はプロダクトデザイナーです。随分前から疑問に思っていることがあります。今日はその内容に近いところに話題が行きかけたので、ちょっとここで皆さんに問いかけたいんですけれども。

 それは、日本人だけが工芸と工業が水と油のようにくっきり分かれたものとして捉えているんじゃないか、という疑惑です。
 明治維新で、海外のものがどんと入ってきて、そこに工業文化、大量生産といったものもそのとき同時に入ってきますね。それまでの日本のものづくりがすべてそこで断絶というか、もう古いものとして切り捨てられかけた。それで日本は工業化したという歴史がある。日本人は工業と工芸というものを、そこから分断して考えているんじゃないでしょうか。
 ヨーロッパに人々は、石器時代のものづくりから3Dプリンターまでを連続的に捉えているのはないかとも思います。
 (教職で教えている)海外からの留学生に書道を体験させたとき、掛け軸に仕立てさせました。私が「ここは糊で貼るんだよ」と言ったときに、彼はなんのためらいもなくテープで貼ろうとしたんです。日本人だったら、テープで貼ったらあかんよねというのは分かると思うんですよ。日本では、伝統的なものづくりと近代工業製品というものが完全に分断されているのでそれを混在させちゃいけないという気持ちがあるんです。

 けれども、ヨーロッパでは昔の手仕事から少しずつ機械化されて、コンピューター化されていったような文化にどっぷり入ってきたのではないかと思います。そんな人から見たら、工芸も工業も、ものづくりというひとつの考えというか、それこそボキャブラリーのひとつにしか過ぎないんです。

 今、工業化がある程度、究極なところまでいったところで、その次のボキャブラリーとして、温故知新として工芸にスポットが当たっているんじゃないかという気はしますね。そこに関して皆さんにご意見をいただきたいなと思いました。

■鞍田:すごく大事なご指摘をいただきました。たぶん(八木、中川の)おふたりが一番言いたいことがあるんじゃないかと思います。

■八木:よくヨーロッパにものを売りに行くので、そこで感じたことも含めてお話しします。なんとなく僕はヨーロッパのほうが(工芸と工業が)分かれているような気がしています。たとえば紅茶屋さんは今では97%がティーバッグだそうです。ルースティーは3%。そうして品質すごく厳しく指摘したり、製法、成り立ちなどについてものすごく突っ込む。

よく、辻さん(辻徹 氏/金網つじ)は「100均で売られている金網も、あれはあれでいいと思う」と言います。ものにはそれぞれの存在価値があって、ベクトルが違うだけ。100均の金網はものづくりとして尊敬できる、と。

 僕たち(GO ON)が、パナソニックさんと一緒にお仕事をさせていただいたときに、パナソニックのデザイナーさんたちに「なぜそうするんだ」「これはどうやってつくるんだ」と質問攻めにあった。普段は僕らはあまり言葉にしない部分を。

 つくり手として、僕らは工芸と工業を水と油だとは思っていません。パナソニックさんとのプロジェクトでは、つくり方のベクトルが違うからこそ、ベクトルを合わせる難しさを実感しました。

 「うちのお茶筒は色が経年変化しますよ」と言うと、パナソニックさんは「そんなものは売れません」と言う。まずはそこからのスタートでした。

なので、これの存在意義というのは、なかなかスタートができなかったというのはあるんですけど、そういうことを含めたときに、僕たちはベクトルが違う部分はあるけれども、「ものづくりをする」という部分ではすごく似通ったところもあるんだ、と考えるようになりました。パナソニックのなかでも金型をつくっておられる方は僕らと考え方が同じなんですね。そうした意味では、(パナソニックに対して)同じ波を泳いでいる仲間のような感覚を持ちました。

■中川:「Artisan」という言葉がわかりやすいと思います。日本には「職人」という言葉がありますし、かなり近い意味で「工場のおっちゃん」という言葉もあります。
 要するに、「Worker」と「Artisan」で明確に区別しているのがヨーロッパで、そこは混じり合うものではないというふうに考えられていると感じます。むしろ海外のほうがそこが、水と油のように大きく分かれているなという印象を受けます。

 


■中村:ウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に繋がるかなと思いました。ウィリアム・モリスが「民衆の芸術」という講演を学生に向けてしているんですけれども、そのなかで「古い時代の教会は誰が建てたのか」という問いを学生に向けます。農村に建築家という職業がない時代。つまり、職人として働いた石工や鍛冶屋が建てたんだと。そして、モリスはその職人たちの働きについて、目と、手と、最後に重要なのは、労働に対する喜びだといいます。

 「労働」って日本では、すごくネガティブなイメージを持つ言葉だと思うんですけど。工業か、工芸かという話では、つくることを「労働」という言葉に置き換えていくと、工業と工芸は地続きのような気もする。けれど、美術家や彫刻家は仕事を「労働」という言い方はおそらくしない。多分、「制作」と言いますよね。こうして「労働」という言葉から考えても、工業と工芸は非常に近いものかなと思います。

■米原:「仕事」って言いますもんね。工業でも工芸でも現場の職人さんたちが自分の姿勢を指す言葉として「仕事」が使われる。「仕事」は作業を指しているし、ものの出来を指している。動作や暮らし方、人との接し方みたいなことも含めて。端的でいて的確に姿勢を表した言葉だなと思います。この言葉を使う人の、人としてのあり方をすごく表しているあらわしてるし、良い言葉だなと思います。「Work」では伝えきれないものをたくさん含んでいる。

■永田:同じことかもしれませんけど、「手間暇をかけて」と言うじゃないですか。あの言葉はすごく良いなと思っていて。手間だけじゃなくて暇もかけるわけでしょ。やっていないところも含めて、ひとつの完成形を目指す行為。だから、生き方に近いところを担っている。ご飯を食べるための労働なのか、対価を得るものなのか、自分の成功を目指していくものなのか。そこの大きな差があると思います。工業と工芸というよりも、その人のあり方として。

■鞍田:働き方の違いみたいな。

■永田:働くための意識というか。何を対価にするかというの点では工業と工芸は今、少し違うところがあるのかもしれません。似たようなものだと考えるのではなく、「異質なもの」として捉え直すとしたらいいのかもしれない。
 工業というか、インダストリー3.0以降の人たちから「手間暇」という言葉は聞いたことがない。皆、「手間をかける」と言いますけど。
 けれど、インダストリー1.0、2.0ぐらいの人たちは「手間暇をかけた」と言うんですよ。「暇」まで含めてものづくり。「暇」がものをつくるときに必要なんだという意識は彼らにあるんじゃないかと思います。

■中川:しゃべりすぎだと怒られるかもしれませんがあとひと言。
 今、まさに価値観が変わっている。貨幣だけに価値を置いたときには、むしろ手間暇をかけない方が価値が高い。でも、工芸というものが、これからの社会に提示できるもののひとつに「お金に換算できない価値」がある。そして、これからはその価値をお金に換えていく必要がある。それは生きていくための問題ですけども。

 だから、工芸は消費社会を変更していくためのツールになっていくんじゃないかなと思っています。先程、近年は社会性が下がっているという話もありましたが、そこも工芸によって社会を更新していくことができるんじゃないかと思います。

 これは、僕はアートでは無理だと考えているんです。自分がアートをやっていたというのもありますが、アートはイデオロギーや、宗教性というものと深く関わりますから。でも、工芸ってやっぱり生活の延長にあるので、イデオロギーや宗教性と関わりなく(コップを手にして)これは世界中の人にとってコップだし、(テーブルを指差して)これは世界中の人にとってテーブルなんですよね。だから、工芸にはイデオロギーや宗教性を除いて世界をひとつに繋げていくことができる。その可能性がある。
 だからこそ、工芸が次の社会にとってどういう存在になるのか、という内容がもっと語られるようになってほしい。


■鞍田:僕からもひとつだけ。アーツ・アンド・クラフツの話もありましたけれども、ハンナ・アレントという哲学者がいて、彼女は『人間の条件』(『The Human Condition』)という著作のなかで、人間の働き方をlabor、work、actionという3段階に分けているんですね。laborというのは、人間も生き物やから生きていくためには食べなきゃいけない、自然という条件に対するリアクションとしての働き方だとしています。そして、自然条件としてのlaborの結果は、結局、消費の対象になっていったと言っているんです。どれだけ時間をかけてつくった料理でもあっという間に食べてしまうように、生きていくためのものというのはどんどん消尽していく。
 でも、workによって生み出されたものというのはずっと残っていくと言っている。たとえば、建築がそうであり、工芸がそうだと。
 actionについてはここでは略しますが、そういう多様な働き方があったのに、近代になって、すべてlaborになってしまう。workも、laborになってしまった。ということは、それまでworkによって世代を超えて残り続けるものとして作りだされていたものたちも、消費の対象になってしまったということでもあって。
 人間の働き方についての問題意識は言い出すと本当にきりがないので、そういう論点もありましたよ、というご紹介ぐらいなんですが。

 でも、工芸か工業かという違いは置いておいても、われわれの日常下でのものづくりが、実はどんどん後退していったのがこの30年ぐらいの日本社会にあったと思うんですよね。
 かつてだったら、「コンコン」「カンカン」と身近でやっていたものづくりの世界が次々と目の前から消えていった。それが機械であろうと手仕事であろうとね。
 気がつくとワンクリックすると四畳半から出なくても生きていけるような時代になっちゃっているわけじゃないですか。そういうなかで、工芸であれ工業であれ、もしかするとものをつくるというか、つくるという営みがもう一回僕らの次の社会を考えていく大事なアクションとしてあるんじゃないかなと思って。TSUGIの新山くんたちが鯖江で考えていることもそういうことやと思うんです。今日はそういうことを巡ってお話が進んできたのかなということを思いました。

■米原:まとまらないまま、終わろうかとしています。安易に結論へと向かわないことが真摯かなと思っています。こういった普遍的なテーマはこれからも話し続ける場を持ち続けたいなと思っています。

 今日はたくさん話題が出て、ご来場いただいた皆さんのなかにもなにかが生まれたんじゃないかな、そうであればうれしいなと思います。まとめとは言いながら、まとまらないまま終わります。今日はこれが素敵な終わり方で。

■鞍田:京都精華大学 伝統産業イノベーションセンターは事務所じゃなく、バーチャル研究所になるかもしれない。このままいくと。

■米原:それもあるべき姿かもしれないですね。
■鞍田:そうであっても、今日集まったわれわれは協力するよということを確認し合って終わりたいと思います。どうも皆さん、ありがとうございました。


■吉村:今日は、専門やお立場が違う皆さんに集まって頂きましたが、それぞれに本質的な議論が多かったので誰もが自分のこととして聞ける話題がたくさんあったと思います。
 そういう意味でも「We」という、「自分たちの問題」として捉える機会になりました。あらためまして、登壇者の皆さん、ご来場の皆様方、ありがとうございました。長時間お疲れさまでした。

 

 

We-工芸から覗く未来」全文公開にあたって
We-工芸から覗く未来」オープニング
We-工芸から覗く未来」第一部 「ファッション素材としてのフィッシュスキンと京都の染色技術」
We-工芸から覗く未来」第2部 「手仕事の、次の1000年のために」
[写真で振り返る]シンポジウム「 We-工芸から覗く未来」